おんがくのじかんで催される、バーでの演劇ショーケース『劇的』
バーでのショーケース公演「劇的」vol.02 『劇的な葬儀』
2023年3月23日(木)ー26日(日)@東京都 三鷹 おんがくのじかん
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【ゲストプロフィール】
宮田みや
https://twitter.com/sakasamanomiya
(さかさまのあさ https://sakasamanoasa.wixsite.com/sakasamanoasa)
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このタイミングで団体を立ち上げたのが正解だったのか
――1週間くらい前にホームページを新しくされたようで。
宮田:ちょっと内容が古くて、情報を新しくしなきゃということで副主宰の伊藤がやってくれました。
――以前のサイトはTumblrでしたね。今回改めて過去の公演情報も拝見したのですが、第2回公演はそもそも配信のみだったんですね。
宮田:そうなんです。旗揚げ公演と、その後一度打った番外公演から結構間が空いちゃったことで、自分達で劇場公演をやる自信が無くなっちゃったと言うか、凄い不安になって。
そんな中で「一回挑戦してみる?」という流れで、第2回本公演は配信オンリーにしました。
それから「頑張ろうね」「精力的にやっていこうね」という感じで、去年の夏から、また劇場公演を復活させました。
――その、不安になったというのは、興行としてみたいな部分?
宮田:予算や集客もそうですが、純粋に私が新作を描き下ろすのが久々で、私の自信も無くなっちゃってというか。
創作の機会もなくなっちゃって、「自分がこのタイミングで団体を立ち上げたのが正解だったのか」と不安になったりしました。
――なるほど。改めてですが、宮田さん自身の、簡単な自己紹介を頂戴できますか?
宮田:宮田みやです。さかさまのあさという劇団の主宰で、演出脚本をやっております。
外部では役者もやっていて、映像を作ったり、フライヤーのデザインなど、演劇に拘らず色々な活動をしております。
DVDに収録する公演映像の編集をしたり、YoutubeやSNSの宣伝用の短い動画を作ったり。
一昨年の夏には声を掛けてもらって、短いアニメを作ったりもしたんです。
知り合いの劇団の主宰のお父様がミュージシャンをやっている方なんですけど、病気をされてしまって、元気づけるというか、「応援する為にアニメーション作品を残したいんだ」「手伝って欲しい」と言われて。
主宰さんにイラストを描いてもらって、その絵を動かすという。
ファンタジーの世界観
――さかさまのあさの立ち上げについてお伺いできますか?
宮田:私と副主宰の伊藤は、大学在学中におんなじ演劇サークルに入っていました。
美術大学だったので制作を優先して、在籍は2年生までだったんです。ただ、2年生が終わっても活動を続けたくて。
私が結構わがままと言うか、自分の考えややりたいことが凄くはっきりしてるタイプの人間だったので、私のわがままを突き通した世界を作りたいというのが発端でした。それに付き合ってくれる、一緒に作りたいと乗ってくれたメンバー何人かと立ち上げる形になりました。
「幻想的」「大人向けの童話」と言われるような、ファンタジーを描くことが多いんです。
リアルに作り込まれた作品にあんまり共感できないことが多くて。家庭環境が違ったり、背景が違った瞬間に、自分のものとして見れない。
お話は面白いと思っても、自分のものにはならない。誰かのものという感じがするんです。
ファンタジーって世界が全然違うからこそ、気持ちや、主人公やキャラクター達が怒る、悲しいとか嬉しいというのが、わりとストレートに自分の言葉だったり自分のもののように感じられます。
そういう面があって、ファンタジーの世界観で作品を作るというのはあります。
リアルから得る感情がインスピレーション
宮田:人と喋っていたり、人と関わることで、リアルから得る感情がインスピレーションになることが多いです。
人間関係が上手くいってないとか、トラブルがあったり、理不尽な言葉で傷つけられて、ぶわーっと。
うまく言語化できないと言うか、感情が高ぶりやすくて。でも、その時にその場でうまく説明できなくても、後からモヤモヤ残ちゃうんです。
その気持ちを作品、言葉として昇華させるのはすごく多いですね。
喋っていて面白いとか、聞いていて「うん?」となる言葉選びを、自分の中では忘れないようにしています。
口から出す時にリズム感があると喋っていて楽しいし、聞いた時にちょっと引っかかるワードチョイスになるように、音の並びなどを考えたりしています。
さかさまのあさの番外公演では、オムニバスの形を取ることが多いです。(実験的に)劇団員が脚本演出をやってみたり。
本公演ではエモーショナルな作品がすごく多いんですけど、ずっと楽しいお話とか、新しい挑戦できる場として、セルフブランディングとして1個分かりやすいものがあったらいいんじゃないかと。
本公演では自分たちが思う、「さかさまのあさが、こういう団体として認識されたい」作品として作って、番外公演ではそのブランディングに拘らず、色んな挑戦をする。
コストもライトな感じで、気軽にやっていこうと、本公演と分けて番外公演も企画しています。
世界の大きい物語に飲み込まれない為に、自分達の物語を持つ
宮田:ブランディングの過程で、どんな年齢層の人にも楽しんでいただけたらいいなというのはあるんですけど、最終的に、さかさまのあさの言葉で、その人が見えていなかった気持ちが見えてもらえたら嬉しいなというのもあります。
物語中の些細な一言が、自分の人生の次のステップに向けて「あ、これが見えていなかった」というようなことに繋がるように、そういう一言を言えたらいいなと思っています。
「世界の大きい物語に飲み込まれない為に、自分達の物語を持つ」ことを大事にしていきたい。作家として、観てくれた誰かが飲み込まれない為の物語を作れたらいいなと思っています。
帰って来られる場所みたいな。
10年後とか、国境も越えたいですね。越えられたら格好いいなと思います。
でも、公演を打つ場所に拘りはないです。それこそテントでもやってみたい。
そういうのも楽しいと思うし、初めて私が演劇を観たのが銀河劇場で、そこに立てたらいいなと思ったりします。
色んな場所があるし、手段があるし、色んな形で出来たらいいなと思います。
私達の団体は物を飾ったりはするのですが、セットをあんまり組まない。その箱の形や、空間に合わせて作ることが多いので、大きさや場所に拘らず、その空間で私たちが生きていけたらいいのかなと思っています。
逆さまになってみた朝がどういう色をしているのか
宮田:団体名の由来は――団体を立ち上げた当初は〆切に追われて、課題で明け方まで作業することが多かったんです。
明け方3時になると、すごく静かな瞬間があるんですね。道路に車も通らないし、何の音も聞こえない。誰かの生活音や声も聞こえない。
朝4時になると、大体鳥が鳴きだす。
その時間がすごく好きで、さかさまのあさという言葉がパンて出てきた。
物語でも、主人公と主人公から見て悪役がいて善と悪があるけど、視点が変わったらどっちが善でどっちが悪か分からない。
自分の目線だけで見た世界が全てではないじゃないですか。
逆さまになってみた朝がどういう色をしているのか。
夜に見えるのかもしれないし、昼に見えるのかもしれない。
立場や視点を変えてみた時に、世界が物凄く急に開けてきたり、全く違うものに見える。
私達の言葉で、見えていた世界が180度変わっちゃうような団体になれたらいいなと思ってつけました。
演劇を始めるきっかけの一つで、おぼんろ
宮田:高校生の頃、友達に「舞台があるんだよ」「面白いんだよ」とお勧めされてDVDを貸してもらったり、ライトなところから気になるようになりました。
舞台をちゃんと観るようになって、面白いなと思ったタイミングで、銀河劇場で『頭の中の消しゴム』が上演されていて。
家族とは共通の趣味が多くて一緒にどっかに行くとか、舞台を一緒に観に行くことが多かったんです。姉が当時ファンだった役者さんが出演していて、観に行ってぼろぼろと泣きました。
DVDでは観ていたんですけど、生でちゃんと観るのが初めてだったので。
楽しかった記憶はあります。
当時『弱虫ペダル』が流行っていて、西田シャトナーさんの公演を観たりするうちに、「演劇って面白いな」と思うようになりました。
小劇場で色々な作品を観るようになったのは、20歳を過ぎて自分が外部の舞台に出るようになってからでした。
演劇を始めるきっかけの一つで、おぼんろ(2006年、早稲田大学在学中の末原拓馬を中心に結成した劇団)があります。
当時、『ヴルルの島』という作品が上演されていたんですが、それを母が先に観にいって、「創作をやっているなら絶対観にいった方が良い」と言われて、『ヴルルの島』を観にいったんです。
観に行ったら、世界観の作り込みとか言葉選びだったりとにかく全部がすごく面白くて、すごくハマりました。
通うようになって、いつの間にか団体を手伝うようになっていました。
おぼんろがきっかけで、この世界に飛び込んできたというのはあります。
――私も作品を拝見したことがありますが、私が知る内で、さかさまのあさの方向性に一番近い劇団と言うと、おぼろんだと感じるので、謎が解けました。
何かを生み出すサイクル
宮田:私はなにかを作ることが好きで。
ただ、自分の人生のサイクルとして、ずっと脚本を書いているのはしんどいんです。
ずっと言葉、文章だけということではなくて、文章だけを書いてる時期があれば、絵だけ描いてる時期もある。
母が洋裁をする人間だったので、実家にいた頃は、服を作ってみたり。
それこそ旗揚げ公演の衣装は全部、私が作っていました。
料理も好きなので、休みの日にスーパーに行って大量の食材を買い込んできて、それを全部Youtubeを流しながら作り置きしたり。
だから、多分作ることが好きなんです。絵を描いたりと、何かを生み出すサイクルがあって、一カ月まるっとそれをやっているみたいな感じです。
作っていないとイヤなんだろうなと。
結構飽き性なんで、ずっと文章を書いていると飽きるから、絵を描くとか、そういう感じです。
絵はデジタルの時もあるし、アナログの時もあります。
アナログは準備と片付けが面倒ですが笑
演劇が自分のやりたいことが全部やれる、網羅できる
宮田:大学では主に映像作品を制作していました。
なので、絵を作品としては書いてきていなくて。趣味でイラストの延長みたいなことはやっていたんですけど。
好きなことやりな、みたいな学科でした。
大学で演劇サークルに入ったのは、迷わずでした。
小学校の時にも演劇クラブに入っていて、中学校でも文化祭の実行委員になり、文化祭が始まる前のお芝居をやっていました。
演劇に興味はあり続ける人生だったんですけど、舞台作品を観るのは高校生ぐらいからでした。
舞台でも、クオリティだったり、結構ものによって酷いものがあったりするじゃないですか。絶対私が作った方が面白いんじゃないかと思って。
あるあるですよね。もっと上手く演技できるんじゃないかとか。それで演劇サークルに入って、初めて人前に立ってみると、そんなことは全然なかったり笑
たまたま演劇が自分のやりたいことが全部やれる、網羅できるものでした。
生の楽しさもありますよね。
リアルタイムでしか作れない空気感とか、お客さんと役者が今ここにいる、世界が成立しているというのが好きで、楽しいからやっているというのがあります。
作品って、自分
宮田:稽古をするのも好きです。楽しいです。
自分が演出する時は結構長く喋っちゃうんですよね。
お喋りなので、体を動かしている時間よりも私が喋っている時間の方が長い日もあったりします。
作品って、自分なんですよ。自分の言葉で、自分の世界。
私の脚本の言葉って普通の言葉じゃないというか、日常会話的な言葉は使わなかったりすることや、独特な言い回しが多かったりするので、人によっては理解したり馴染むまでに時間がかかったりする。
こうこうこういう気持ちでこういう意図があって、「何の為にこういう言葉づかいをしているのかというとこう思ってほしいから」とか、全部説明しちゃうんですよ。
聞いてほしくて「聞いて聞いて」「褒めて褒めて」みたいな笑
意図がない状態を無くしたいんです。
フラットにして、全部自分が意識している状態の上で生まれる無意識が美しいと思っています。
その上で生まれるものが、その人にとって自然な状態。
演劇は嘘と言われることが多いんですけど、私たちの日常生活でも、結構みんな平気で嘘つくじゃないですか。
なので、(舞台で)嘘つかないでくださいとか、噓泣きしないでくださいとか、全然無いと思っていて。
身体が先行するものだと思っているから、気持ちを伴う必要はないとずっと思っています。
基本的に人間に、気持ちと身体が同時に同じ場所にいることってほとんどない。
びっくりして自分的に「ハッ!」ってなっているのに、無表情で固まっているとかって全然ある。
内側と外側で見える景色が全然違うので、そういうのを役者さんに理解してもらうためにも、ずっと喋っています。
泣く芝居でも、全然悲しいと思う必要ないと言っています。「今日はカレーが食べたいな」と思いながら泣いてくださいと伝えたり笑
こっちの方が生っぽいんですよね。泣こうと思って泣いちゃうと、全然こっちには響かないんです。
気持ちと身体の乖離
宮田:最初に出た舞台の演出の方に、「冷たいシャワー」というのを教えてもらいました。
「冷たいシャワーを浴びてきてください。そのシャワーを浴びた時の身体の感覚を覚えてきてください。それを思い出して芝居をしてください」っていう。
その方はイギリスかどこかでメソッドを学んだという方で。
実際に涙が込み上げてきたり、感情がせり上がる時の身体の状態と、冷たいシャワーを浴びて「ひゅっ」となる感覚って、結構近い。
感情を込めてというだけではなくて、先に身体が先行する――後から気持ちがついてくるので、先に身体を作る、その入れ物の状況を先に合わせるというのは、自分の演劇のメソッドとして、体感しながらやってきています。
外部の方やはじめましての方と共有していくために、ワークもちょっとしたりします。
「凄く力みながら歩いてください」とか、「脱力しながら歩いてください」「重心を上げてください」「下げてください」「はい、走ってください」「走りたいのに走らないようにしてください」というように、とにかく無茶をやらせるんです。
その時に付いてくる感情って、楽しい。
でも傍から見た時に、ものすごく力んで歩いていると怒っているように見えたり、脱力して歩いていると悲しんで見えたりする。
まず気持ちと身体の乖離を理解してもらうというのは、よく伝えています。
あと80年あったらなんでもできね?
宮田:さかさまのあさは、今年6月と8月に公演を考えています。
今回「劇的な葬儀」には出られないメンバーがいるんですけど、その宮越が一人芝居をやってみたいと言うので、やってみようかなと思っています。
それから8月に本公演をやる予定です。
今は創作が生き甲斐というか、生きる理由というか。
正直20歳ぐらいで死んでもいいやと過去に思っていて、それこそ最近まで50歳60歳ぐらいで死ねればいいやという感じだったのですが、最近ここ数カ月は意外と人生たのしいなと思うようになりました。
一般的に100年生きる時代と言われる。うちのおじいちゃんが今年の3月で96歳になるのですが、本当に100年生きそうな人を目の前にして「(自分の人生)あと80年かぁ」とずっと思っていました。
ただ、去年の年末の公演ぐらいから、人生たのしいかもしれないと思うようになって、無敵じゃないですけど、「あと80年あったらなんでもできね?」っていう感じ。
物心つく前から絵を描いていたり、母がお花の教室をやっていたり、何かを作るということが特別ではない環境だった。
描いたり作ったり、お花に触ったりしてきたことは、喋ったり飲むというのの一環になっています。
創作はコミュニケーションを取ったり、何かをする手段でしかない。
特別なものではないのですが、食事をすることと同じ感覚です。日常というか。
今たまたますごく合っている表現方法が演劇でした。
公演はやれる時にやっていこうというのがあります。(その上で)今しかないというか。
現実世界の方がよっぽど不思議だな
宮田:この間、月がとても綺麗で感動しました。稽古に遅れてるのに、大きくて鮮明な月が本当に綺麗だったので思わず見惚れて、なんならばっちり写真も撮ってました笑
あと、うちのおじいちゃんが認知症で、せん妄が始まるとすごい大変なんですけど、家族が施設の人のふりをすると嘘みたいに大人しくなるんです。どこかで見たような、昼ドラみたいな話を自分の話のように話したり、ヘルパーさんに真剣にプロポーズをしていたり、なんだか別の世界を生きている人になっていて、おじいちゃんの方がよっぽど話を作るのが上手いんじゃないかって、最近はよく考えます。
現実世界の方がよっぽど不思議だなと思います。
一輪車に乗ってタンクトップを着て肩に猫を乗せて右手にラグビーボールを持っているおじさんを見かけたり(一度だけでなく二度も!)
海外からの観光客の方で、真冬に「京都」とプリントされた半袖Tシャツを着ている男の子が街を歩いていたり。ドラマみたいだなあと思ったり。
おもしろいなと思います。
自分の原液みたいなものにできたらいいな
宮田:「劇的な葬儀」に参加する作品について、今なんとなく考えているのは、「死語」。
使われなくなった言葉が集まる場所に、自分の名前を思い出せない人が来て、"愛"をを名乗る人を通じて、その名無しの背景に迫っていくというお話を書こうかなと思っています。
20分で収まるか不安なんですけど笑 収めます。
結構さかさまのあさエンジンを吹かせようというか――普段は結構皆さんに合わせて気を使っているんです。
皆さんというか、一般的な、分かりやすいものにしているんですけど、そこまで親切にしなくても今回は許されるかなと思っていて、自分の原液みたいなものにできたらいいなと思っています。
あのね、あの刻、あの夜の音。
宮田:タイトルは「あの夜の音(あのよのね)」にしようかなと思っています。
もしかしたら、もうちょっと長く、響きっぽくしたいなとも思いつつ。まだ仮です。
最初はカタカナでで「シゴの世界」という、死語と死後をかけたものにしようかと思ったんですけど、ストレース過ぎるなぁと思ったので、あの世とあの夜で、あのよのね。
「あのね」と呼びかける言葉も好きで、そういうふうにしようかなとも思っています。
投げかけている「あのね」と、あの世と、あの夜の思い出として、重ねられたらいいなと、今タイトルを決めていっているところです。
※2/27日現在「あのね、あの刻、あの夜の音。(あのね、あのとき、あのよのね)」に決定しました!
おうち時間にオススメの一品は『パズルゲームアプリ』
宮田:Youtubeやゲーム配信ばかり見ているんですけど、どうでもいいパズルゲームを気づいたらずっとやっていて、好きです。
昔は同じ数字を揃えていくゲームをやっていたのですが、最近は試験管に色を揃えていく、少し鬱陶しい広告のパズルゲームをめちゃくちゃやっています。1500レベルくらいまでいっています笑
ルービックキューブを揃えるのも好きなんですけど、ルービックキューブは考えなきゃいけないので、あんまり考えなくて済むような、ゼリーを揃えるゲームをずっとやったり。
(ゲーム中の)情報が少ないんですよ。3Dの余計なエフェクトも入ってこなくて、視界に入って来るのが2Dの、黒い背景でカラフルなだけ、みたいな。
ひたすら色を揃えています笑 全然2時間3時間ぼーっとやっています。
準備と片付けがとにかく苦手なので(アプリのゲームはのめり込んじゃう)。
最近は駐車場から車を出すゲームだったり、少し鬱陶しい広告のパズルゲームを「あー、もういいよ。いい加減」と言いながらインストールしている笑
びっくりしたのが、去年の年末に実家に帰って、紅白を観ながら試験管のゲームをぽちぽちやっていたら、妹が「それ、私もやってる!」と。
全く同じゲームを入れていて、お父さんも同じゲームを入れていました。
無心でぼーっとする時間を作りたい人にオススメです。
人によっては考えちゃうかもしれないんですけど、慣れれば考えずに、基本的には無心になれます。
ありのまま受け止めて楽しむ方が楽しかったりする
宮田:(「劇的な葬儀」に参加する作品について)楽しんでいただけるのがなによりかなと思っています。
意味が無いことも結構好きなので、「意味がよく分からなかったです」と言われるのは、実はすごく好きなんです。
意味のないものに意味を見出すことに、人は結構一生懸命になっていると思うんですけど、意味のないものを意味のないものとして楽しむと意外と楽しいよというのもあります。
意味のないものに意味を見出すことよりも、ありのまま受け止めて楽しむ方が楽しかったりする。
有意義な時間の方が得した感じになると思いますが、有意義じゃない時間をどう楽しむかで変わってくることもある。
難しいことは考えずに、言葉をそのまま言葉通りに受け取る楽しさを、楽しんでもらえたらなと思います。意味がなくてもいいんだと。
さかさまのあさ「あのね、あの刻、あの夜の音。」
宮田みや(さかさまのあさ)
※次回は明日、 おんがくのじかんからの寄稿です。また次回でお会いしましょう!
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