おんがくのじかんで催される、バーでの演劇ショーケース『劇的』
バーでのショーケース公演「劇的」vol.02 『劇的な葬儀』
2023年3月23日(木)ー26日(日)@東京都 三鷹 おんがくのじかん
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
【ゲストプロフィール】
湯川拓哉
https://twitter.com/XJCANNON
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
人とどう付き合うか
ユイ:じゃあ、最初に自己紹介的なものをお願いします。
湯川:コップクラフトは、僕と作家・演出・役者でもある山本悠の2人で立ち上げた団体です。一応、共同主宰でやっています。
僕自身は中3から演劇を始めたんですけど、大学で演劇の学科に入り、大学院にも入って(表現にまつわる)論文も書きました。
彼(山本)とは、多摩美術大学で出会いました。彼自身はユースソーシャルワーカー。不登校の子たちと喋る施設に行ったり、仕事したりしていました。
二人とも「人とどう付き合うか」「どう接するか」に関して興味がある、コップクラフトはそんな人たちです。
年は27歳です。よろしくお願いします。
ユイ:団体を立ち上げた経緯を、詳しくお聞きしたいです。
湯川:正直団体というものに対し、すごく難しいところがあるなと思っています。
(湯川と山本による)ワークショップ団体は別であるんですけど、上演を基にする団体となると、どうやったら団体として成立するんだろうかとずっと考えていました。
今までも山本と創作はしてきたのですが、「今さら団体を作るのか……」という話になったり、「別に団体という形をとらなくても」という話になったり。
団体という契約が枷になってしまうとイヤだなと思ったので、なかなか踏み込めませんでした。
「でも、(創作のための)団体を作んなきゃいけないよね」ということで、団体名を3~4年ぐらいずっと考えてはいました。今回は主催者の平井さんに団体名を決めてくださいと言われたんで、もう否応なく決めたというのが団体の結成の経緯ではあります。
ただ、もともと団体という括りに関しては、ずっと考えてることがあったので、とりあえず団体を作ろうというノリで作れなかったという経緯はあります。
ユイ:どういうところが特に難しいと思いますか?
湯川:まず団体創設のメリットとしては、単純に共通言語が育みやすい。例えば、僕がよく使う言葉として「観客との接続」。
接続という言葉は色んな捉え様ができる。でも、僕と山本の中では、接続の意味することがなんとなく共有されていたりするんです。
接続というのは、別に、説明するとかでもないし、分かりやすくするとかでもない。
そういった共通言語を育みやすいのが団体のメリットとしてある。僕が演出家で彼が作家であることと同じように、役者や制作陣とも育めたら、それはいい創作になる。
逆にデメリットとして、責任。
僕自身も観客や上演への責任は持つんですけど、昨今、責任を持てるほどの何かがない状態で、(想定される様々なケースに対して)団体としての責任が取れないんじゃないかと懸念している。
お金のこともそうだし、例えば役者と一緒にやるとなって、じゃあ、その人が出演する機会をいっぱい作らなきゃいけないとか――山本は人と喋るのがすごく得意なんですけど、僕はなかなか回りくどい話をしちゃうので、パッションで「よし、やろうぜ」がなかなか言えない。
他人を信頼できないというわけではないんですけど、僕がすごく臆病で怖がり――「いや、なんか、僕なんかと話させていただいてありがとうございます」というスタンスが基本的にずっと抜けないので、あんまり「一緒にやろう」みたいなことが言えない自分もいます。
その自分の性質と、社会的に団体の成立・形成に難しさがあるよね、みたいなことを考えて、うじうじしていたこの何年かです。
ユイ:なるほど。
でも結構長い間、団体を作りたいんだという感じではあったんですね。
湯川:団体とはなんぞやみたいなところはありました。
(これまでも)別に僕と山本に関しては2人で作ってきたので、それは友人関係の中かもしれないけど、それ以上に何が必要なんだと。それこそ僕の内的な要因として、さっき話したみたいなことはあるかもしれないけど、外に広報するために作るのかみたいな話になると――作る人の気持ちと広報の脳みそって違うじゃないですか。
作る人の脳みそだと、そういうところ(広報)にかまけるんじゃなくて、もっと作品創作のために何かするべきだとなるんだけど、「でも、その前に観てもらうためのアイキャッチとかアイコンとかは必要だよな」みたいな。
どっちかというと創作や作品の話をするのは好きだけど、そっちの(広報の脳みそでの)話がなかなか発展しづらかったのもあり、なんのために団体を作るのか、その答えを今の今も考えてはいます。
ユイ:これから見つかっていくと良いですね。
湯川:色々団体を作った人の話を聞いてきたんですけど、ノリだったりしますもんね。
こんな変に考えたり、うじうじ考えてんじゃねえよと言われてきて、そうなんだろうなと思いつつ、今回平井さんに機会をいただいたっていうのは1個の分岐点なのかなと思いつつ、やろうかなと思います。
欲望を見るのが好き
ユイ:コップクラフトの名前の由来とか聞いてもいいですか?
湯川:色々紆余曲折あったんです笑
人とのコミュニケーションが取れるような何かを考えようということで、コミュニティとか、そういうコミュニケーション。
両方「コミュ」って入るじゃないですか。そこからなにか造語を作るかみたいな話をしていたら――僕と山本がゲーム好きで、Co-opモード(ビデオゲームで2人以上のプレイヤーが協力してプレイするモード)っていうのがあるんです。
マルチプレイでのCo-opミッションみたいなのもあるんですけど、「Co-op、いいじゃん」と投げたら「Co-opじゃないな」「コップじゃね?」みたいな、聞き間違えでコップになっちゃって。
対外的な説明としては、誰かと喋れる器や対話する姿勢を作ろうねみたいな意味に最終的には決まったんだけど、成り立ちとしては、「そういう、Co-op、コップを作れるような場所を作りたいよね」「それが僕らのやりたいことだよね」と、Co-opなのかコップなのか分からないけど、それを作る、クラフトするコップクラフトになるという流れだった。
ちょっとまだ、そこら辺の(団体名の由来の)格好いい言い方は決まってないです笑
ユイ:めちゃくちゃ良い由来だなと思いました。
一言で格好良く言えるタイプの団体名の由来も、確かにありますね。
湯川:キャッチ欲しいですよね。
ユイ:ありがとうございます。
次は、演劇でもそれ以外のことでも、好きなことについて聞きたいです。
湯川:コンテンツとして好きなのは、演劇に限らずサブカルチャーというか、カルチャーなもの全部好きというか。
多分、根源で人が何かをしたいとか、人が何かをしようとする欲望を見るのが好きで。
ユイ:うん。
湯川:だから具体物的に映画が好きですと言うよりかは、それを表現したい人だったり、普通に雑談したり、人の欲望や欲求の話はすごく好き。
だから人間が好きだという話なんですけど、おしゃべりが好きですね。苦手なんですけど、おしゃべりと、出会うことが好き。
ユイ:どういうお喋りをするんですか?
湯川:例えば誰かの思想や主張があった時に、同意することもあれば違うなと思うこともあって、正しいかどうかは僕自身気にしていないんですけど、何かどうしてそうなったんだろうみたいな物語を聞いているのが好きなんですよ。
僕は27歳なんですけど、僕には、湯川拓哉という一人称視点の、27年間もの僕が主人公の物語がある。
「その人にも、その人の生きてきた年数、生きてきた主観の、その人が主人公の物語」があるはずで、それを聞いていくみたいな感覚に近い。
ユイ:へー。
湯川:その人を物語化してみて、そこに対して否定したいとか論破したりとかとかは特にない。
その状態で、許せられるなら対等に喋りたいと思う。
ユイ:会話というよりかは、物語を聞いていく。
湯川:対話や会話の定義によるんですけど、多分対話する前にまず出会わなきゃいけないなと思っている。
その為の状態っていうのがすごく好きかな。逆に理論とか戦いとかになってくると辛くなっちゃう。
ユイ:うん。
湯川:でも出会う時は戦わないだろうなと思っていて、その良いバランスのところが好きかなって。
ユイ:初めが楽しいみたいな。
湯川:悲しい言い方笑
ユイ:その感情は分かるというか、私も初めが楽しかったりもする。
湯川:2回目が続かないんだよね。
ユイ:あるあるですね。
湯川:1回目超楽しいのに、2回目行くのが大変というか、ハードルが高い。俺から提供できるものも無い。
演劇を続けることはもうそれって生きることなんじゃないか
ユイ:中3から始めたというお話でしたが、もっと詳しく演劇を始めた時の話を教えてください。
湯川:「始めるきっかけ」と「続けている理由」は違うと置いた上で、始めた理由としては、なんかね、目立ちたがりだったんですよね。
ユイ:なるほど。
湯川:多分最初は演出とか考えずに、「なんか踊てぇぜ」「歌を歌いたいぜ」っていう感じだったんですね。
小学校から何故かピアノをやっていて、そのレッスンの時に歌の時間があったんです。
それがすごく好きでした。歌うとか、表現することが元々好きだったっぽくて。
中学に入って、ダンス部とかそっちに行こうかなと思ったんですけど、なかなか特殊な学校で、ヨット部があったんです。
ヨット部ってなかなか無いじゃないですか。
ユイ:そうですね。
湯川:「ヨット部あるなら、ヨットやるしかないっしょ」ってなって、ヨット部に入った。
中間一貫校だったんですけど、高校でもヨットを続けるかと言われたら、そこまでガチにはやりたくないなと思って、中3の夏ぐらいで、じゃあ、また新しい部活を始めようかとなった時に、ダンス系とか演劇部があったから、それをやってみようかなと思って始めました。
モチベとしては、「表現してぇぜ」「動きてぇぜ」みたいな感じがあったのかもしれないですね。
ユイ:その演劇部では、歌ったり踊ったり踊ったりできたんですか?
湯川:どうなんでしょう笑
多分できていないんですけど、表現をすることに対しては何か学べたというか、出会えたのかなと思うんですね。
こんなにも伝わらないっていうか、こんなにも人は同じ言葉を使ってるのに伝わらないっていうことは知れた。それは別に観客と私たちではなく、部内でも色々あった。
あと、良い意味で偏屈な人間がいっぱいいたんですよ。みんな各々違う文脈を持っていて。
みんな己の思想とかを持っていて、「へえ、そうなんだ」と思いながら、僕は僕で知らない中で戦っていたって感じです。
ユイ:今、演劇を続けている理由についても良いですか?
湯川:まず演劇を続けてる理由の、演劇とはっていう話になるんですけど、僕は劇場空間がある場所が演劇だと思っています。
劇場空間っていうのは〇〇劇場とか〇〇シアターといった場所的な意味じゃなくて、表現者とこれを受け取る人たちが相互にコミュニケーションを取れる環境を劇場空間だと僕は置いてるんですね。
その劇場空間をちゃんと作るということをしたいなと思っていて、それが役者として対面するのか、演出家として対面するのか分からないし、それこそ人として、ただ単に雑談の場としてもそう。
そういうことを考えていきたいというか、そういうことをやりたいなと思ったので、僕の中では演劇を続けることはもうそれって生きることなんじゃないかみたいなこともある。生きることがもう劇場空間に生きることなんじゃないか。
そこに近い文脈のところで、劇場でもやるし、そうじゃないところでも、今まで出会っていなかったものと出会うきっかけを作りたい。
現実世界のサービスでも、そういうところの文脈があると思うんですけど、そこから更に虚構の世界へ一緒に行きたいなと僕は思って、虚構の世界も横断できるというのが面白いんじゃないかなということで、多分今の僕の状態になっている。
ユイ:その虚構、フィクションの方には、どうやって行こうと?
湯川:自分が現実で経験できることって限度がある。僕らは空を飛べないし、殺せない。
そこに虚構の力はあって、本を読んでそういう人に寄り添ったり、ゲームで「俺、魔物倒すぜ」という状態になったり、現実では体験できないことを疑似体験できる。
疑似体験して、そこで感じ取ったことは現実だと思うんです。魔物を倒すってなんかグロい。グロいという感覚は現実。
そういう意味での、広がり。
確かに現実世界でも知らないことはいっぱいありますし、知らないことがあるのに虚構に逃げるなよっていうのはあるんですけど、現実が枷になって新しいことを発見できないのであれば、僕は虚構やフィクションの力を使って色んな知見を得るのは良いことだと思う。その広がりの手段として虚構やフィクションを捉えているのかもしれないです。
ユイ:なるほど。
面白いというか、フィクションを扱うと色々な解釈があるじゃないですか。やっていくにあたってみんな絶対考えていることで、みんな別々なので、やっぱり面白い。
こんな自由でいいのか
ユイ:ありがとうございます。じゃあ、次の質問です。
演劇を始めたのは中3だとお伺いしたんですけど、もっと最初の原体験的な、演劇との出会いは覚えていますか?
湯川:ちっちゃい頃からちょこちょこ子供教室みたいな感じで、地域のミュージカルを観たんですけど、面白くなくて。
ただ、小学5年生から6年生ぐらいの時に、劇団四季の『ライオンキング』を観に行ったんですね。
ユイ:うん。
湯川:もともと親父がアニメとか漫画、ゴジラやガンダムが好きで、それに連れられていたんですけど、『ライオンキング』を観た時に「これは初めての感じだ」と思ったんですよ。
それで、小学校の中での総合学習の時間に、今年は何をやりましょうかという話になった時、『ライオンキング』をやりませんかと言ったら、本当にやることになりました。しかも英語で。
そこで先生やみんなと協力して英語でライオンキングをやったのが、原体験であるかなっていう感じですね。
いわゆる今の演劇、僕が今が思う劇場空間みたいなことに出会った経験で言うと、もう少し後に「あ、これを観たかった」ということもあります。
ユイ:それについても訊いて良いですか?
湯川:高校生の時、野田秀樹さんの作品を初めて映像で観た時に、「こんな自由でいいのか」「映画と違うな」と。
今までも『ライオンキング』で圧倒されたりはあったけど、単純に迫力みたいなことだけじゃなくて、マインド的にというか、精神的に、全部は分からないけど分かるところもあるし、しかもそれを目の前でやられるとしたらどんだけすごいことなんだろうと。
他の観客と分かち合いながら、これを一緒に鑑賞するっていう体験を想像した時に、あ、これが演劇なのかもしれないなと、その時は思った。
観客席には色んな人がいた方が豊か
ユイ:じゃあ、次の質問しようと思うんですけど、演出するに限らず創作する時に、特に大事にしてみようとしていることってありますか?
湯川:結構、僕と山本で分担をしているなと思っています。
僕の考える領域でいうと、僕はまず最初に観客のことをすごく考える。
観客がどういう状態でそこにいるのかとか、どういうステータスでそこにいるのか。
そこにいる人とどう接するのかを、僕は第一に考えるかなっていう感じです。
何を言うかじゃなくてどう繋がるかってことが、すごく重要だと思っていて。
例えば、僕は体が大きいから怖がられるよねと。
怖いしなんかバスバス言っちゃうみたいな。僕の言葉選びが悪い時が大抵なんですけど、でも違う子が僕と同じこと言った時に、その人は「そうだよね、〇〇ちゃん」となるけど、僕の方は「なんだよ、湯川」ってなったり。
それを見た時に、俺が言うからダメなのか色々考えたけど、どう伝わるようになるか(を考えたい)。
例えば言い方を変えなきゃいけない。
僕が言いたいことがそのまま伝わらない経験をすごくしてきたので、どう伝わろうとするのか/どう伝えようとしてるのか――別に説明したいとかではなくて、どう向かい合って、どう出会いたいのかみたいなことなんだけど、そこらへんのことを僕は作品を作る時に考えています。
でも世の中には観客がいらないっていう人たちもいて、その人たちを否定するとかじゃなく、住む国が違うというだけで、僕は観客のことを意識して、まず第一に作品を作る。
その上で、観客との逆算で「じゃあ、こう言った方がいいんじゃないか」「こういう風な組み立てをした方がいいんじゃないか」と考えつつ、自分が楽しい方向、僕が観て楽しいものを作らなきゃいけないなと。
ユイ:観客とどう繋がるかっていうことを、演出の部分で考えている。
湯川:そうですね。
まぁ、役者の時も考えながらやるんですけど、僕自身がすごく役者をやりづらいなというか――こういう表現をしたいとか、こういう出力をしたいっていうのは僕自身なくて。
役者じゃなくても全部全般そうなんだけど、どっちかっていうと、相手から逆算してこういう言い方をしようとか、こういうような表現をしようというプロセスを考える。
だから、僕が演出をする時とか企画を作っている時は、そういうことを考えるし、そういう状態が作れるように演出したいなと思っています。
上演というものがあった時に、幕が上がって下がるまでだけが上演じゃないと僕は思います。
それこそできるんだったら、その人の家から本当は演出したいんだけど、それは無理だから、じゃあ、どこから始めようかというのは常に考えています。
作品によって、後は手放していいなみたいな線引きもするし、このラインまで作っちゃえば、ここ以上は各々で(と渡したり)。
(お客さんの受け取るものを)統一したいとかでもない。
やっぱり観客席には色んな人がいた方が豊かだと僕は思う。
僕ら用に強制されたりとか、僕ら用に統一させたいというわけじゃなく、色んな人がいるけど、この上演時間に関しては共存をした方がいいと。共存できるための仕組みは考えているから。
それは、観客同士もそうだし、観客とカンパニー、舞台上もそうだし、いかに劇場空間で共存するか、更に共存した上で関わったりするかが、面白いなという感じです。
ユイ:以前、カレーをみんなで(劇場空間で)食べるみたいな話をお伺いしましたね。
それも、観客とどう繋がるのかのお話に繋がっているなと思いました。
湯川:単純に食卓を囲むって、すごく素敵な瞬間だなと思うんですよ。
僕自体、食卓を囲んだことがあんまりなかったというか、中高6年間男子校だったので、朝は食べないし、夜帰ってくる時間が違うしみたいなことで、一緒にみんなでご飯を食べますって機会があんまりなかった。
(カレーをみんなで食べる公演の話を)色んな人に喋っていくうちに、食事は一緒に食べるルールを作るとかご飯の時間は必ず一緒にするという話を聞くと、憧れがあるので、一緒に物を目の前で食べている時間って、すごくいい。
交渉術とかでもそうなんですよ。何か交渉する時には飯を一緒に食うといいんだみたいな話。
そういうのとかも色々あって、食を共にするっていうのが面白いなと。それと、演劇で食を共にするというのを俺は観たことがないなと思ったので。
ユイ:うん。
湯川:観客と一緒に食べれる演劇を作りたいな。
輪っかを広げていきたいな
ユイ:団体の今後の展望、どうなっていきたいかや、次に予定している公演についてお聞きしたいです。
湯川:一応8月に公演があって、今オーディションの公募をしています。
8月にセックスに関する演劇をやります。すごくストレートにやる感じになると思います。
それをやって、ざっくり話しているのが「湯川拓哉一人芝居をやりたいです」という話と、もう1個は「探偵ものを作りたいよね」って話。
何個かアイディアとして、演劇に限らず映像やボードゲームだったり、色々考えています。
ユイ:もっと長いスパンの10年後とかだとどうですか?
湯川:もちろん東京芸術劇場 シアターイーストでできたらいいなと思うけど、その権威性に対して、今やりたいと思いたいっていうわけでもない。
やれたらいいなと思うけど、さっき言った、場所的な意味じゃなくて、劇場空間がより密あるいは有機的に動けるような場所でやりたいなと思う。
これも演劇いいじゃんっていうような輪っかを広げていきたいなって思うし、そういう人たちともやりつつ、格式ばったところも横断できるような地点にはいたいなというか。
両方やりたいです、っていう話です。
ユイ:どっちかに寄る人が多いですからね。
湯川:(最終的に)多分どっちかにしか生きられないっていうのがあるから、どっちかに決めなきゃいけない時もくると思うんですよね。
ユイ:確かに。
湯川:多分その人たちも両方やりたい――知らない人ともやりたいし、知っている人ともやりたいっていうのはあるんだろうけど、多分難しいなっていう。
ユイ:なるほど。
何をしても演劇になっちゃう
ユイ:創作する時にエンジンになっていること、これがあるからできるってことを教えてください。
湯川:コンプレックスっていうと意味が違うんだけど、分かり合えないかもみたいなことをが発端になることが多いかも。
目の前で喋れなかったとか、喋りたいなっていう欲求かもしれないんですけど。
ユイ:うん。
湯川:僕自身は人と出会いたいみたいな欲求がエンジン、ガソリンになっているんですね。
それは舞台上での面会かもしれないし、僕が何かを出してそれを見てもらう。
それがもう出会いだと思っているから。
もう演劇しか作れなくなっているみたいなこともある気がするんだけど、さっき言った、生きることが演劇みたいな定義で言っちゃうけど、僕は何をしても演劇になっちゃう。
それ以外のことをやりたくないとかではなくて、単純に今そういう段階ではなくなって、具体的にそれをビジョンにする技術がないっていう話があるからだけど、別に舞台上演っていうものを演劇としているだけではないから、生きる活力は何ですかの質問と一緒な感じ。
僕が誰かに出会うために表象するツールなのかもしれないですね。その人のことを知るためのツール。
ユイ:うんうん。
知るために。
湯川:うん。
その目の前にいる観客ないし、対面する私と共存する人がどうあれるかっていうことが、エンジンなのか、ガソリンなのか。
ユイ:最近刺激を受けたパフォーマンスとかあればお伺いしたいんですけど。
湯川:1月に関わった舞台リーディング公演がありまして。
クリエーションの場としてすごく面白かった。(関わっている)人が良かった。
光州事件という、韓国で起こった民主化運動の前後の話を取り入れたりしたので、結構日本人から遠い話をやる感じだったんです。
その中で、どうやってこれを表現するかとか、そもそも公演、演劇とはみたいな話を稽古場でした時に――今までは上演があって、そこに行くための稽古という名の答え合わせというかパーツ集めの感覚で参加していたところはあるんですけど、一役者として参加したにもかかわらず、この上演はこうしようみたいなことをちゃんと話せたし、ちゃんと聞けたなと思って、プロデュース公演だったからなおすごいなと思いました。
団体の一員だから責任を持つみたいな文脈で発言できたりするんだけど、プロデュース公演だと色んな文脈とか色んな出自の人たちがいっぱい集まってくる。
今、その人達がどうやって共存するか協働するか。
ユイ:うん。
湯川:演出家自身もこれをずっと考えていたらしくて、私のイニシアチブとか、美学を押し付けて動かすっていうよりかは、どうやって観客と協働したいか。
観客とそういうような状態になる為には、カンパニーでもそういう状態にならなきゃいけないなと話していて、なるほどと。
じゃあ、僕は僕なりの文脈で言えることを言おうと思って、クリエーションの時間としてありがたかった。
あとゲームが好きなので、結構ゲームに影響受けています。
ユイ:一番これというゲームはありますか?
湯川:去年やったゲームで『十三機兵防衛圏』という作品。
そのゲームの面白さっていうのが、普通にSFの読み物として面白い。
ユイ:へぇ。
ゲームからも、刺激を受ける。
湯川:はい。
あと、一昨日映画の『RRR』を観て、難しいことを考えずに踊りたいなって思ったんですよ。
ストーリーもすごく単純なんだけど。1分で説明できるストーリー。
ユイ:3時間あるのに笑
湯川:俺もなんか踊りたい。これに混ざって踊りたいよね。
なんなんだろう。僕も論理でどれだけ共存できるかとか、接続できるかとか考えているけど、感覚的に一緒に踊りたいとか一緒に何かしたいという、発明というか、分析はしていかなきゃいけないなと思いました。
言語化しないで共存できる仕掛けは、また(その仕掛けに)甘えるとかになっちゃうといけないから、難しい。
ユイ:歌とか踊りとかって、言ってしまえば楽に楽しめるから。
おうち時間にオススメの一品は『新しいコミュニティに行く』
ユイ:おうち時間にオススメのコンテンツはありますか?
湯川:新しいコミュニティに行くみたいなこともありかなって思っています。
最近のTwitterのスペースや、一昔前の斉藤さん(ランダムに通話ができるアプリ)に似たアプリって、いっぱいあると思っていて。
コロナ禍で僕が感じたのは、それこそオンライン飲み会があった時、結局今までの関係値とかコミュニティーを消費している時間になっているなと思う瞬間があった。
それが悪いわけじゃないんだけど、今までの財産を見ていくだけの時間になって、それはもう何も進んでいないというか、何かを確認しているだけになってしまった。
今は別に対面じゃなくて、新しいコミュニティというか、新しい喋れるものがあるので、最初の理由として彼氏彼女作りたいとかでもいいと思うんですけど、そういう違う文脈のエッセンスを取り入れる。
それは全部に言えることかもしれなけど、自分が今まで観たことのない作品を観るとか、自分が知らないコミュニティに接してみる。
しかもネット上だからある種安心してというか、リアルだと逃げられない身体的な危険もあるけど、ネット上だったら自分の情報を開示しなければ最悪ブチって(接続を)切ればさよならできる。
ネットの利用の仕方は難しいし、ネット上だから何でも好きなこと言っていいかって言うとそんなことはないんだけど、何かに出会うこと。
出会い系みたいな話は全然違うんだけど笑
ユイ:ハハハ。
湯川:湯川的な言語での出会う、をネットでもできるよっていうのは、1個オススメかなっていう感じですね。
ユイ:ネット上で知らない人と出会う。
湯川:そうそう。
僕とあなただけの劇場空間
ユイ:最後に一言いただけたらなと。
湯川:僕は演出家なので、もしくは役者なので、何を言うかってことに対しての言語化はできないけど、でも、どう繋がりたいかとか、どう繋がるか、どう相対するか、どう出会うかを、僕は問題点としてすごく気にしています。
世の中はインターネットで色んなことを切り取って――言っていることの切り取りだから間違ってはいないんだけど、切り取り方によって印象が変わるし――。
どっちも嫌なんですよ。接続の仕方だけコントロールすれば何を言ってもいいんじゃないかとなるのも、僕は嫌なんで。
僕らはそういう意味では、作家の山本がそこをコントロールしてくれて、僕がどう接続するかをコントロールする形で、考えながら、独りよがりになることはないように作るようにしています。
その中で一緒に観客として、是非立ち会ってほしいなと僕は思っています。
今回の上演じゃなくても、僕らと会う時、どうもっていうことがあったたら、そこで上演が生めたら面白いなと思います。
ユイ:なるほど。
湯川:最小サイズでいうと、僕とあなただけの劇場空間を作り、上演することも可能だと思っているので、是非そういうことも考えながら観てもらえるとありがたいなと思っています。
いっぱい色んな人と喋りたいです。なんかあったら連絡待っています。
コップクラフト「場の精霊からの手紙」
湯川拓哉(コップクラフト)
~脚本~
山本悠(コップクラフト)
※次回は明日、四日目四回目 旦妃奈乃さんのインタビュー記事です。ウキウキ。また次回でお会いしましょう!
コメント
コメントを投稿