おんがくのじかんで催される、バーでの演劇ショーケース『劇的』
バーでのショーケース公演「劇的」vol.02 『劇的な葬儀』
2023年3月23日(木)ー26日(日)@東京都 三鷹 おんがくのじかん
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【ゲストプロフィール】
濱吉清太朗
https://twitter.com/Seitaro_regie
(紙魚 https://shimisilverfish.wordpress.com)
2001年生まれ、静岡市出身。演出家・俳優。 2020年日本大学芸術学部演劇学科入学。 2021年、紙魚を立ち上げ。 2022年、演劇人コンクールにて一次上演審査通過、最終上演審査進出(最終上演審査は上演中止)。
全部演劇スタート
ユイ:まず簡単に自己紹介的なものをいただけると嬉しいです。
濱吉:紙魚という演劇ユニットを主宰している濱吉清太朗と申します。
紙魚は、2021年に第1回公演を行い、2022年には佐藤佐吉演劇祭 見本市に出場させていただきました。
立ち上げ当初は僕一人の個人ユニットだったんですけど、最近はだんだんメンバーが固まりつつあって、今は制作や衣装等の裏を支えるメンバーが固定されているという意味で団体の形を成しています。
ユイ:なるほど。見本市の時から、メンバーは固定されている感じだったんですか?
濱吉:見本市の時のインタビューでは「メンバーはいない」と言いつつも、結局1回目の公演の時と出演者やスタッフが同じだったので、もはやメンバーじゃないかという感じではありました。
ユイ:以前の記事では、(紙魚に関わるメンバーについて)「派遣バイト制」みたいな感じで言っていませんでしたっけ?
濱吉:言っていましたね。
登録制バイトのような形がいいんじゃないか、それが理想型なのではないかと考えていたのですが、私の中で演劇観の変化もあったりして。登録制バイトというよりは、もうちょっと集団の中で蓄積されたものを求めるようになってきたというのが、ここ1年の変化です。
ユイ:ありがとうございます。
演劇以外でも何かお好きなことってありますか?
濱吉:これ聞かれると毎回困っちゃいます笑
全部演劇スタートーー演劇のために音楽を聴くし、演劇のために映画を観るし、演劇のために読書するしっていう、つまんない人間で。
ユイ:笑
それってずっと昔からってことですか?
濱吉:幼稚園の時からそうですね。
ユイ:すごいなあ。
濱吉:でも、演劇の中でも好きなことは変わってきていて、例えば幼稚園の時はミュージカルが好きというところからスタートしたんですけど、そこから興味がオペラや、現代演劇まで広がっていったり、現代演劇の中でもとにかく斬新なことに興味がある時期や、作品の構造に興味がある時期があったりと、そういうふうに好きなことが移り変わっていく中で、作品の作られ方とか見せ方も変わっていったりしています。
戯曲を知りたい
ユイ:基本的に好きなことは「演出」という感じなんでしょうか。
今のお話を聞いてると、演出のポジションでやることなのかなと思って聞いてます。
濱吉:それで言うと、演出っていうよりも戯曲が好きなのかもしれないです。
ユイ:なるほどなるほど。
濱吉:私は戯曲を書かないんですけど、「戯曲を知りたい」というところがいつも中心にあります。
ユイ:舞台の演出をやりたいって思い始めたのって、いつぐらいなんですか?
濱吉:小学校4年生の時です。
ユイ:はやい。
濱吉:静岡市出身なんですけど、地元に静岡芸術劇場(SPAC)という劇場があって。そこで小学校の時にダニエル・ジャンヌトーが演出した『ガラスの動物園』を観て、めちゃくちゃ衝撃的だったんです。
私がそれまで見てきたミュージカルと言われるものは見やすさを追求した舞台芸術だと考えていて、それはソンドハイムのような、難解だと言われている作曲家の作品であっても変わらないと思うんです。
ただ、その『ガラスの動物園』では、ほぼ全編舞台に紗幕が掛かっていて、その紗幕の向こうで劇が繰り広げられているんですね。
「あ、見にくい世界があってもいいんだ」「そういうものを観客に見せてもいいんだ」という衝撃があって、そこで現代演劇にハまりました。
その時すぐに演出家、とは考えなかったんですけど、SPACの作品を何回か観ていくうちに、「自分だったらこうするんじゃないかな」とか、「いや、これ違うでしょ」というところから始まって。
今はそういうモチベーションではないですけど、最初はそういうきっかけで志しました。
ユイ:ありがとうございます。おもしろい。
(戯曲の)中心点
ユイ:次は、演出にまつわる質問です。演出する、創作する時に大事にしている、核にしていることってなんですか?
濱吉:とにかく「戯曲を知りたい」というところに、興味のポイントが大きい。戯曲の構造を理解することを大切にしています。
ユイ:「構造を理解する」というのを、詳しく聞いてもいいですか。
濱吉:地味な話になるんですけど――2年ぐらい前にケイティ・ミッチェルの演出の本が出て、演劇界でブームになりましたけど、あんな感じです。
例えばまず、戯曲に書かれている事実をリストアップして、それを検証します。そんなことだったり、その他に私の経験から生まれたことで言うと、戯曲の中には必ず中心点があると思っているんですね。
戯曲っていうのは、その戯曲の登場人物の状態の変化が描かれているものだと思っていて、何かをきっかけにして、この人がどう変わっていくか。
ユイ:うんうん。
濱吉:これはあくまでも西洋近代以降の演劇に通用するものだと思うのですが、必ず中心点――その変わるきっかけのセリフが「パンっ!」っていう風に存在していると思っているんです。
例えばイプセンの『人形の家』。一番最後の3幕の終わりのところで、主人公のノラが、夫であるヘルメルは本当の意味で自分のことを愛してはいなかったのだと気付いた時に、「今やっと本当のことがわかり始めた」というセリフがあるんです。
そこから一気にノラの状態が変わっていく、そういうセリフのことを「中心点」と勝手に名付けて、そこを検証しながら探っていったりするのが、構造の理解だと思っています。もちろん他にも構造を理解するためにすることは山のようにありますが。
ユイ:おもしろい。普通に勉強になります。
自然発生的に
ユイ:今のお話って、一人でやる作業かなと思ったんですが、稽古に入る前だったり、稽古場に入ってから大事にしている、重視していることだとどうですか?
濱吉:稽古のやり方は演出家だったらいつも悩むところではあると思うし、私もまだ不安定なところを色々試したりしているんですけど――1年前とかは「とにかく話し合いをしなきゃいけない」という、ある種言ってしまえば「流行りに乗らなければいけないんじゃないか」みたいな、演劇界全体でそういうのマストでしょ、みたいなことを勝手に感じてやっていました。
ユイ:うん。
濱吉:そこに対しての義務感があったんですけど、結局僕の場合それをやってしまうと、俳優が喋らなきゃいけないみたいな空気を現場で作ってしまったなというところがあったりして。今は自然発生的に、その場で話す時間が生まれるのが一番理想なんじゃないかな、と。
時間を決めて話し合うんじゃなくて、稽古中「あれ? ここってさ」と俳優や私、プランナーがなった時に、「ねえねえねえ」と話が始まるのが理想的なのかなと今は考えています。
ユイ:時間を決めてやると、プレッシャーになるというか、「なんか良いことを言わなきゃ」みたいに、逆に演出家から評価される時間みたいになっちゃったり。
濱吉:正しいか正しくないかになっちゃったり、予め用意しちゃったりとか、そうなっちゃうとあんまり意味がないと気づきました。もちろん俳優が予め戯曲をしっかり読み込むという意味での用意は必要だけれど。
何回再演してもいい作品を作っていくということ
ユイ:ありがとうございます。次の質問なんですけど、今のところ、団体の展望だったり、今後5年後10年後の紙魚の行く先は、どのように考えていますか?
濱吉:以前のインタビューで、海外公演を目指していると言っていて、それはもう着々と進んでいるんです。今年か来年に海外に行けたらいいなというところまで行けてはいるんですけど、「じゃあ、その次どうしようね」となった時に、やっぱり新しいことをバンバンするというよりは、地固めを5年10年かけてやらなきゃいけないんじゃないかなと感じています。
そこで必要なのは、やっぱりロングランに耐えうる作品、何回再演してもいい作品を作っていくということ。
それから演劇を食べれるものにするということ。
10年かかってできるかも分からないんですけど、やらなきゃいけないと思っています。
ユイ:50歳60歳になった時も濱吉さんは演劇をやっているんだろうなと個人的には思うんですけど、そのあたりだとどうですか?
濱吉:そうでしょうね。僕もやってると思います。
あと自分の劇場はやっぱり持ちたい。最近、公民館とかで、毎回小道具を運んで汗かきながら持って帰って、また翌日に運ぶみたいなこと、泣きそうになるんです笑
稽古場の広さも変わるし、バミリもし直さないといけない。
あ、でも一方で公民館の利点もあると思っていて、公民館をはしごすると毎回広さが変わるじゃないですか。私は公演会場に合わせたバミリを作るっていうよりは、その公民館の部屋のサイズに合わせたバミリを作るんです。
ユイ:縮尺で。
濱吉:はい。
間口が3メートルの日もあれば6メートルの日もある。俳優がその空間に合わせた演技を毎度することによって、作品の強度は上がっていくと考えています。
「どの空間にも耐えられる」ようになる。
そういうところでの利点は、公民館での稽古にはあると思っています。
まあでも強度を高めるには、他にも色々な方法があるので、やっぱり劇場を持ちたい。
ユイ:場所は固定したい。
濱吉:はい。東京じゃないところで演劇だけに専念したい。第七劇場のThéâtre de Bellevilleだったり、鈴木忠志さんの利賀村、宮城聡さんが芸術監督のSPACだったり、そういう空間を持ちたいですね。
ユイ:ちなみに、どこに劇場を建てたいとか、目星はもうついているんですか?
濱吉:無いですね。自然が多くて、自律神経が乱れなさそうな場所ならどこでも。
海外公演は絶対に必要
濱吉:金世一さんが演出された『水の駅』に俳優として出演して、そのポーランド公演に行ったんです。
その際に海外公演のノウハウをそばで見て勉強しました。やっぱり海外公演って演劇人にとって絶対必要なものだよなと改めて思いました。
ユイ:必要だと思った理由を訊きたいです。
濱吉:強度の話ばかりになるのですが、全く違うコンテクストの観客の目に作品を晒すことで作品の強度を確かめたり補強したりすることができると考えています。
例えば水の駅だと、私は「大きな荷物の男」を演じたのですが、ライトをつけたヘルメットを被り、救助隊が着てるオレンジの服を着てリュックを背負って歩く役でした。
日本の福岡で公演すると、舞台上の瓦礫の山もあって、東日本大震災で救助をする人のイメージを持たれたのですが、ヴロツワフでは勿論コンテクストが全く違うのでそうはいかない
それでも『水の駅』が現地で受け入れられたのは(現地の評論では十年に一度見れるかどうかの素晴らしい作品と評されました)、その格好に普遍性があったからだと思っています。ポーランドのヴロツワフならヴロツワフの事件や災害へ置き換えてみてもらえた。そこが僕は(作品の)強度だと思っています。
今の例は分かるものの一例でしたが、分からないものを共有するにしても、それを提示する側の骨太さみたいなものを鍛える意味で海外公演は絶対に必要。
燃え続ける
ユイ:ありがとうございます。
今のお話は長いスパンでのものだと思うんですけど、短いスパンでの、直近の紙魚の予定もお聞きしたいです。
濱吉:紙魚の公演は、2021年も1回だけですし、2022年も見本市の1回だけで、結局クローズドな公演やプロデュースしていただいたものを除くと1年に1回しか公演を打てていなくて。
ユイ:うん。
濱吉:そんな感じで作品の発表数が少ないまま、ここまで来てしまったので、今年はもう作りまくろうと思っています。
ひと作品作ると燃え尽き症候群になっちゃったり、それ以外にもお金の問題で公演できないとかもあるんですけど、燃え尽きちゃうのは、多分休まなければ燃え尽きないんだってことに気づいた。
ユイ:燃え続ける。
濱吉:大人の演劇人たちって多分そうやって生きてるんだろうなと思うんです。
私は次は大学4年生ですし、演劇をお金にすることを考えた時に、エネルギーを消費している途中で、エネルギーを補充することを覚える必要があるかなと。
まずは3月、『劇的なる葬儀』があるんですけど、そのすぐ後4月に『毛皮のマリー』(作:寺山修司)を上演します。
これは私が人生で一番最初に読んだ戯曲。ようやく演出することが叶いそうです。
6月にも多分何かやります。
ユイ:すごい短いスパンですね。
濱吉:その後も何か色々やります。お楽しみにしていただけたらと思います。
ユイ:急成長の予感がします。
人間を理解したい
ユイ:今喋っていただいたことと被ってしまうんですけど、創作する時にエンジンになっていること、エネルギーの原動力みたいなことは何かありますか?
濱吉:多分2つあると思っていて、一つは僕の場合、演劇しかやってこなかったので、もう後戻りできないぞっていうやつです。
ユイ:なるほど。
濱吉:これしかないんだぞという。
2つ目が、今の演劇をやってるモチベーションとしては、とにかく人間を理解したいっていうところにあります。
人間を理解するために戯曲があるし、俳優やプランナーがいる。
前回公演の映像を観た時に、「ここ違うなあ」という反省点がいっぱいあったりして、それがその次の公演で更新されていく感じも原動力になっていますね。
「今なら人間のことを分かったんじゃないかな」と思って作品を発表して、また失敗して、時が経って「あ、今なら」「失敗した」みたいな。
ユイ:なるほど。
リメイクしてリメイクしたいみたいな。
濱吉:そうですね。その根本は変わらないです。
ユイ:今まで「これは自分の最高傑作だな」と満足するみたいなことはなかったってことですか?
濱吉:一番最新のものが、私の中での一番最新の人間観なのですが、それでいうと中止になってしまった『ハムレット』(演劇人コンクール2022)は、お見せしたいと言えるところまで仕上げることができた作品だなと思います。ただ、もう既に私の中では一度完成してしまったのでもう一度作る気があるかというと話は別です。
ユイ:観たかったです。
紙魚No.01「三作連続上演〜人間、の声・サロメ・チロルの秋〜」
ユイ:最初の旗揚げの時の作品を思い返すとどうですか? 「全然違うなあ」みたいな?
濱吉:めちゃくちゃ違いました。
一番最初は3作品を連続上演という形でジャン・コクトーの『人間の声」とオスカー・ワイルドの『サロメ』と岸田國士の『チロルの秋』を、流れるように上演しました。
ジャン・コクトーの『人間の声』って男性に別れを告げる電話をしている女性の一人芝居なんですけど、最後電話線で首をくくって女性は死んでしまう。
彼女は男性が自分のことを忘れないように、首をくくって死んだと思うんです。それって、自分の首を相手に送るような行為じゃないですか。
その女性は死に向かいながら、どんな夢を見たんだろうなと考えた時に、その女の人は多分サロメの夢を見たと思っていて。
サロメは相手の首――ヨカナーンの首をもらうっていう作品なんですけど、そのサロメも結局満たされない。首だけじゃ何にも満たされないことが分かった。
そんなサロメが最後死に至る途中でどんな夢を見たのかなって考えた時に、岸田國士の『チロルの秋』だなと。
『チロルの秋』は岸田國士作品特有の「ごっこ遊び」なんですけど、女の人は相手の男の人に別の男の人を投影して、男の人は女の人に別の女の人を投影しながら話を進めるという物語なんです。
サロメは全く知らない他者に自分の想う人を投影すれば幸せになれると考えたかもしれない。でもそれが終わったら次はどうなるのか? というところで終わる作品にしました。
そういう基本的なコンセプトの部分は今でもあんまり変わっていないと思うんですけど、作り方として当初「分かんないことが美学」「観客が分からないことで悦に入る」みたいな感じがあった。今はそこに寒さを感じている。
1冊のノート
濱吉:見本市の時も結構わかんない作品を出しちゃった感じはあるんですけど、あの時の分からなさは1作品目の自慢げな分からなさとは違って、私も分からないんですという切実な分からなさ。
混沌に混沌を重ねた。
その一つ前の静岡での公演と4月の見本市の公演で、私の中で演出家としての変わり目がありました。
誰にも絶対見せることはないんですけど、自分の演出方法を自分なりに1冊のノートに書き出しました。
戯曲を構造的に理解するために、戯曲の最初の読み方から稽古の進め方から何から書いてあって、それに基づいて演出するようになりました。
それのおかげで演劇人コンクール2022の第一次上演審査も通過することができたと思います。
そういう様な変化があって、今に至っています。
あ、でも、今度4月にやる『毛皮のマリー』は寺山修司なので、その構造の本が全く通用しないんですよ。
ユイ:それは逆に面白くなっていきそうですね笑
演出ノート、めっちゃ読みたいですけどね。
濱吉:絶対見せないです笑
ユイ:えー、なんでなんですか。
濱吉:私の手の内の全部なので、読まれたら死んじゃいます。
私なりの『風姿花伝』なんです。
ユイ:弟子とかが出来たら受け継いでいく、みたいになっていくとまた面白いですね。
『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』
ユイ:最近刺激を受けたパフォーマンスや作品について、お聞かせください。
濱吉:日生劇場で観た 『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』という作品が面白かったです。
イスラエル人とエジプト人という歴史的にも対立している人種同同士がふとした偶然で出会う話なんです。トニー賞で作品賞と楽曲賞を6年前くらいに受賞した作品で、ついに日本上陸した舞台。
アラブ音楽の伴奏で進めていくんですけど、その伝統楽器を演奏できる人を探さなきゃっていうところに時間がかかったそうです。
『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』って結構特殊な作品なんです。
一見すると何も起こらない話なんですよ。
音楽隊が迷子になってやってきて、交流が生まれて盛り上がりそうだけど、盛り上がらなくて、去っていくけど皆の心には何かが生まれているという内容を100分休憩無しで上演する。
ドラマトゥルギーや間の取り方、伴奏と演者の距離感が今までのミュージカルとは異なり、演劇とミュージカルの中間地点に感じました。
私は演劇もミュージカルもオペラも歌舞伎も好きだから、その全部のものの中心点を探りたいし、作りたいなと思っていて、そういう意味では 『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』は結構参考になりました。
演劇畑の演出家の森新太郎さんが演出で、演劇的なスクリプトの解釈を用いて、ミュージカルの作品を作る演出術がすごく参考になりました。おもしろかった。
いつもの山本ワールドを期待していただければ
ユイ:今回の作品について、お話を聞かせてください。
濱吉:既存の作品しか今まで扱ってこなくて、今回は初めて書き下ろし作品を上演するっていうのが大きな目玉です。
僕自身、大学の同期の山本真生さん(にもじ/キルハトッテ)の一ファンだったので、事あるごとに書いてほしいという話をしていました。
今回、ようやく念願叶いました。まだ戯曲は上がっていないのですが、いつもの山本ワールドを期待していただければと思います。
タイトルだけ言うと、『うにうまい』。多分、うにの話かな。
ユイ:タイトル的にはそうですね笑
濱吉:書き上がっていく段階段階を見れているのは、凄く貴重な体験で、失礼な言い方ですけど、苦しんでいる姿も含めて面白いです。
ユイ:『うにうまい』が何故タイトルになったのかは、まだ分からない?
濱吉:うには注文していましたね。お寿司屋で。
ユイ:なるほど。
どんなお話なんでしょうね。
濱吉:(今の段階の台本で)ト書きがあるんですけど――演出家の意地で、どんなト書きでも私は演出するからねって言っちゃったんですけど、(このト書き)どうしようかっていうのでもう悩んでいます。
ユイ:ト書き通りにはやらない?
濱吉:いや、私はなるべくト書き通りにやりたいので、ト書き通りにやるにはどうしたらいいんだろうと。
ユイ:作家と演出家が分かれているからこそ難題を受けるっていうのもあると思うんで、濱吉さんを信頼しているからこそなんだとも思います。
今回は、20年代に書き上げられた作品をやるのも初めてですよね。
濱吉:ほやほやの。
ユイ:既に亡くなった方の作品を演出する事が多かったと思うのですが、生きている、中でも知ってる人の作品を演出するってどうですか?
濱吉:オカルティックな話をしますけど、自分はその作家を(自分の中に)降ろすことが得意だと思っていて笑
中学時代、寺山修司が好きだったんですけど、その時は文体がモロ寺山修司だったりして。
例えば黒田夏子さんの『abさんご』を読むワークショップに参加した時にも、時間が経つにつれてその文体がスラスラ出てくるようになっちゃった。
多分作家の特徴や、作家が何を書きたいのかっていうことを考えると、必然的に作家を知るということになって、それが結局文体とか話し方が自分の中で再構成されて現れるんだと思います。
今まで私がやってきた演出作品でいうと作家は全員亡くなっているので、無責任に降ろすことができた。
青森県の山奥にいるイタコみたいな。
ユイ:恐山笑
濱吉:ただ、山本さんは生きているから笑
ユイ:バリバリ。
濱吉:すぐ横にいるから。
更にいうと降ろすっていうのは、その作家特有のロジックがあるから、それを吸収して自分なりに再構成できるっていうところがあったんですけど、山本さんの作品になぜ惹かれるかって考えた時に、山本さんの作品は良い意味でロジックがない。
なので平田オリザさん(無隣館にて)とかSPACとか大学から吸収したものが、全く通用しない。
そこが多分面白いんだと思います。
今回山本さんを降ろすかどうかは分からないんですけど、そういうところが今回の挑戦です。
おうち時間にオススメの一品――「オペラを観てほしいんですよ」
ユイ:おうち時間にオススメの一品を教えてください。
濱吉:オペラを観てほしいです。
オペラが本当に好きで、オペラをめちゃくちゃ演出したいんですけど、周りにオペラについて話せる人もいないし、興味を持っている人もいない。
昨年、岡田利規さんが『夕鶴』を演出していたのは、演劇人がオペラを観劇する良い機会だったと思いますが、まずはもっと気軽にYoutubeで是非観てほしい。現代オペラは別ですけど、作曲家も亡くなっていて著作権フリーなので動画が沢山上がっているんです。
毎週のように新しい世界各国のオペラの映像がアップロードされる「OPERAVISION」というチャンネルもありますし。日本のオペラ界は割と保守的なので、日本で生で見るよりも海外の映像の方がとっつきやすいしオペラのイメージも良い意味で変わると思う。
言葉が分からなくて躓きそうになっても、「作品名+対訳」で検索すると、オペラのスクリプトが書き写されたサイトが出てくるので、これを照らし合わせながら観てもらうと字幕代わりになるし、めちゃくちゃお勧めです。
観てみると、意外と演劇と違わないんだなと思う人もいるかもしれません。
人物がある状況で、どう感情が揺れ動いてどう死んでいくかというその過程を観るのが、オペラの楽しみ方としてあるのかなと思います。
今の東京の小劇場って、やっぱり現代口語演劇をどう発展させていくかっていうところに重点があると思っているんですけど、オペラは神々の世界だったり、王様とかの物語。
なかなか東京では観られないんじゃないでしょうか。
そこも楽しんでもらえると嬉しい。
ユイ:私も観たことないので観てみたいなと思いました。
Youtubeにも結構あるんですね。
濱吉:めちゃくちゃあります。
専業的な演出家
ユイ:最後になにか一言言っておきたいことがあれば。
濱吉:自負としてあるのが、今の東京の小劇場では珍しい専業的な演出家としての側面。多分東京で他の作品を観る感覚と違うものを味わえるんじゃないかなと思っていて、そういうものを求めに是非いらしていただきたいなと思います。
紙魚「うにうまい」
濱吉清太朗(紙魚)
~脚本~
山本真生(にもじ・キルハトッテ)
ミカ…林美月(にもじ)
ケント…藤原太陽(上智大学演劇研究会)
※次回は明日、コップクラフト 湯川拓哉さんのインタビュー記事です。ウキウキ。また次回でお会いしましょう!
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